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【听歌学日语】『僕が死のうと思ったのは 』

 日知窗 2020-10-05
据说这是一首让日本自杀率降到最低点的歌。

被评为日本“平成四大歌姬”之一
以前曾经介绍过中岛美嘉的代表作『雪の華』和《桜色舞うころ》。
2010年,出道十年的中岛美嘉宣布自己因咽鼓管开放症暂停一切音乐活动。2013年,她发行单曲「僕がのうと思ったのは 」,这首歌可以说是词曲作者秋田弘为中岛美嘉定制的歌曲,中岛美嘉是多么适合这首歌:
①幼年被欺凌、②出道十年因患咽鼓管开放症几乎听不到声音。
所以这首歌击中人们心中最柔软的地方,听者在歌声中痛哭,也在歌声中治愈。
备注:中岛美嘉10多岁时候受过欺凌(いじめ)有关。在她的歌曲【16】中有这样的歌词“皆であの子の日々を壊しました”。

以前接触过心理学,不知为何我觉得“死亡诱惑”和“吸引力法则”有很深的联系,如果你周围短时间内有几个人和你谈到“厌世”的想法,最好找好的心理学老师疏导一下自我。


歌词中提到了很多日常生活中的细节,其实都暗喻了一些事情(摘自百度)
「希望叼走自己过去的海鸥」→「失败的过去」
「在阳光树荫下腐烂的残骸」→「受伤的躯体」
「童稚时光含在口中的糖果」→「怀念的时光」
「长大眺望远方回家的灯塔」→「家中的亲人」
「已被遗弃的拱桥和自行车」→「遗弃的记忆」
「看著车站人来人往的过客」→「空虚的内心」
「蹲下身系鞋带朋友却离开」→「冷漠的关系」
「无意中犯错的少年的道歉」→「爱人的过错」
「围绕在身边的冷言和冷语」→「语言的伤害」

僕がのうと思ったのは  
我也曾想过一了百了
词曲 : 秋田ひろむ 

僕がのうと思ったのは
ウミネコがさんばしで鳴いたから
我也曾想过一了百了
因为有海猫在栈桥悲鸣
波の随意まにまうかかんでえる
過去もついばんで飛んでいけ
随着浪花漂浮消失
请把我的过往也衔走吧
僕が死のうと思ったのは
誕生日にあんずの花が咲いたから
我也曾想过一了百了
因为生日那天杏花开了
そのれ日でうたた寝したら
虫のがいと土になれるかな
在树荫洒下的阳光里打盹
是否会与虫子死骸一样化为尘土呢 

 薄荷飴はっかあめ漁港ぎょこう灯台とうだい
びたアーチ橋 てた自転車
薄荷糖 渔港的灯塔
生锈的拱桥 丢弃的自行车
木造の駅のストーブの前で
どこにも旅立たびだてない心
木造车站的暖炉前
心灵不愿去任何地方远行
今日はまるで昨日みたいだ
明日を変えるなら今日を変えなきゃ
分かってる 分かってる けれど
今天如同昨天的重现
要想改变明天 必须改变今天
这些我都知道 都知道 可是...
 

僕が死のうと思ったのは
心がからっぽになったから
我也曾想过一了百了
因为心中如同蝉蜕
たされないと泣いているのは
きっとたされたいとねがうから
因为感到空虚而哭泣
一定是渴望得到充实
僕が死のうと思ったのは
くつひもほどけたから
むすびなおすのは苦手にがてなんだよ
人とのつながりもまたしか
我也曾想过一了百了
因为鞋带松开了
而我又不擅长重新系上它
人与人的连接,何不如此

僕が死のうと思ったのは
少年が僕を見つめていたから
ベッドの上でしてるよ
あの日の僕にごめんなさいと
我也曾想过一了百了
因为少年深情凝视着我
抱膝跪在床上
向那天的我说抱歉
パソコンの薄明うすあかかり
上階じょうかいの部屋の生活音せいかつおん
インターフォンのチャイムの音
耳を塞ぐ鳥かごの少年
电脑的微光
楼上的噪音
电话的铃声
紧塞住双耳
囚笼中的少年
見えない敵とたたかってる
六畳一間のドンキホーテ
ゴールはどうせみにくいものさ
蜗居在六畳一间的我
如同堂吉诃德一般
与看不见的敌人战斗着
反正结局终归是丑陋的
 

僕が死のうと思ったのは
冷たい人と言われたから
我也曾想过一了百了
因为被人说是冷血
愛されたいと泣いているのは
人のぬくもりを知ってしまったから
想要被爱而哭泣
是因为体验了人生的温暖
僕が死のうと思ったのは
あなたが綺麗きれいに笑うから
我也曾想过一了百了
是因为看到你灿烂的笑颜
死ぬことばかり考えてしまうのは
きっと生きる事に真面目すぎるから
每天尽考虑着死的事
一定是因为太认真地活着

僕が死のうと思ったのは
まだあなたに出会ってなかったから
我也曾想过一了百了
因为还未与你相遇
あなたのような人が生まれた
世界を少し好きになったよ
因为世间多了像你这样的人
我开始对世界有了好感
あなたのような人が生きてる
世界に少し期待するよ
因为世间有像你这样的人
我开始对世界有了期待

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